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大阪高等裁判所 昭和39年(ネ)109号 判決 1965年4月22日

控訴人 日本ドリーム観光株式会社 (旧商号千土地興業株式会社)

右代表者代表取締役 松尾国三

右訴訟代理人弁護士 山本良一

同 尾埜善司

同 加藤幸則

被控訴人 岸田小三郎

右訴訟代理人弁護士 十川寛之助

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金二六五、二〇八円を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審(差戻前の分を含む)及び上告審を通じこれを一〇分し、その一を控訴人の負担とし、その九を被控訴人の負担とする。

この判決主文第二項は、被控訴人が金八万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、被控訴人が、その所有に係る本件家屋を昭和一五年九月一一日控訴人に対し、賃料一ヶ月金二六〇円の約定で期間の定めなく賃貸したこと、本件家屋はもと二戸一棟であったが控訴人が賃借後これを一戸一棟に改造したこと、控訴人は当初右家屋の一部を、当時その東隣にあった映画館戎橋劇場の観客休憩所兼喫煙所として使用して来たが、右家屋は終戦後一時占領軍に接収されていたこと、被控訴人が控訴人に対し昭和二四年八月一三日到達の書面を以て本件家屋賃貸借解約の申入をなしたこと、以上の事実は当事者間に争がない。

二、控訴人は、右解約申入書面には理由の記載がなく正当事由の有無を判断することができないから、かかる解約申入は不適法で効力がない旨主張するが、当裁判所は原判決と同一の理由を以て右主張を失当と認めるものであるから、原判決理由(一)の記載をここに引用する。

三、次に、被控訴人のなした右解約申入が、占領軍による本件家屋接収中(昭和二一年二月二日から昭和二五年二月一七日までの間)になされたものであるため、解約申入としての効力を生じないことに関する当裁判所の判断は、原判決理由(二)の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。

四、そこで被控訴人の予備的主張について判断すると、本件訴状の記載によれば、右訴状は本件賃貸借解約申入の意思を包含すること明らかであるから、右訴状が控訴人に送達された日であること記録上明らかな昭和二五年六月三日に、被控訴人から控訴人に解約申入がなされたものと言うべきである。そこで右解約申入につき六ヵ月後の昭和二五年一二月四日までの間正当事由が存在していたか否かについて判断する。

(一)  先ず、≪証拠省略≫を綜合すると、右解約申入当時及びその六ヶ月後に至る間、被控訴人側に左の事情が存していたことが認められる。

(1)  被控訴人は、本件家屋の西南側に隣接する大阪市難波新地四番町三番地上に木造瓦葺二階建居宅一棟、一階坪三三、八一坪、二階坪一八、一一坪と、土蔵造瓦葺二階建倉庫一棟、一階坪六坪、二階坪五、五坪を所有し、その西側に接続して木造瓦葺二階建店舗一棟を所有していた。当時の被控訴人方の家族は、被控訴人夫婦、長女貴代子夫婦とその子供二人、次女と三女の合計八名であった。被控訴人は前記店舗で呉服商を営み、通勤の店員二名を使用していたほか、被控訴人の妹の夫岸田政次郎が一ヶ月金二万円の給料の支給をうけて右営業の手伝いをしていた。

(2)  前記店舗の階下は商品売場と陳列場等に使用され、二階には一〇帖、六帖、四帖半の三部屋があり、前記居宅の階下には玄関三帖、四帖半、六帖、一〇帖、物置三帖の五部屋と納屋、炊事場等があり、二階には八帖、六帖、六帖、物置四帖半の四部屋があり、右店舗の二階及び居宅の階上階下において被控訴人方の家族合計八名が居住していた。

(3)  岸田政次郎は、もと被控訴人方の近くに居住していたが、戦災に遭ったのち京都府綴喜郡八幡町の貸家を借り受けて夫婦二人で居住し、同所から被控訴人方へ通勤する様になったが、その通勤には約一時間半を要する。

(二)  次に、≪証拠省略≫を綜合すると、前記解約申入当時及びその六ヶ月後に至る間、控訴人側に左の事情が存していたことが認められる。

(1)  本件家屋は、大阪市南区難波新地四番町の北側を東西に通ずる市電電車通りの南側に、北向に建てられた家屋であって、昭和一五年頃は二戸一棟で喫茶店及び飲食店の店舗に使用されていたが、控訴人は同年八月三一日前賃借人次田竹次郎から右店舗の設備及び賃借権を代金一四、二五〇円で買受け、その頃被控訴人の承諾を得て右家屋を賃借し、敷金一、六〇〇円(一戸につき金八〇〇円づつ)を被控訴人に交付した。

(2)  当時本件家屋の東隣に控訴人経営のニュース映画館戎橋劇場(主要構造部が耐火構造でないもの)があり、法規に定める観客の休憩所、喫煙所を設ける必要があったが、同劇場は狭くてその内部に設けることが困難であったので、その西隣にある本件家屋の一部をこれに充てることとし、右賃貸借後被控訴人の承諾を得て本件家屋を二戸一棟に改造(右改造の事実は当事者間に争がない)すると共に、内部も改装し、階下の東側の一部に戎橋劇場の休憩所兼喫煙室を作って使用し、その他の部分を控訴人の事務室や児童文化研究所などに使用していた。

(3)  本件家屋は戦後昭和二一年二月二日占領軍に接収されたが、昭和二五年二月一七日接収解除となり、控訴人は同月二一日右家屋の返還を受けた。控訴人は右接収解除後間もなく本件家屋の内部の模様替をなし、階下を三部屋と便所、炊事場とし、二階を四部屋に区切り、階下東側約九坪の部屋を戎橋劇場の休憩所兼喫煙所にあて、階下西側の約三坪と約七坪の部屋及び二階東側約六坪の部屋を控訴人の事務室として使用し、二階西側の約二坪及び約五坪の部屋を控訴人の一六ミリ映画の映写室と試写室に使用し、右の様な使用状況は、本件解約申入から六ヶ月後である昭和二五年一二月四日当時まで同様であった。

(4)  本件家屋の所在する電車通りに面した附近一帯は大阪有数の繁華な場所であって、店舗や事務所が軒を連ねており、住宅専用の家屋は殆どなく、本件家屋を改めて他に賃貸した場合の相当賃料は、昭和二五年八月当時少くとも一ヶ月金三五、〇〇〇円であった。

(5)  控訴人は、被控訴人から本件家屋明渡の交渉を受けたので、前記岸田政次郎夫婦の居住すべき家として、昭和二五年初頃大阪市西成区天神森町所在の約四〇坪の家屋を、同年四、五月頃同区聖天下所在の約三〇坪の家屋を見付け、岸田が住むのならば修理して提供する旨被控訴人に申出たが、被控訴人及び岸田は右家屋を見分した上、前者は控訴人方に遠く、後者は湿気が多いといって、右の家屋に入居することを拒絶した。

(三)  以上認定の事実に基いて、本件訴状の送達による解約申入につき正当事由の存否について検討する。

先ず被控訴人は、本件家屋を長女夫婦と子供らのため、及び岸田政次郎夫婦のために必要とする旨主張するが、本件解約申入当時における被控訴人方の居宅及び店舗は、前認定のとおり部屋数も多く広大であったのであるから、同所で被控訴人夫婦や長女夫婦ら合計八名の家族が同居して生活し且つ呉服商を営むにつき、右居宅及び店舗が狭くて支障があったものとは到底認められず、また岸田政次郎は被控訴人方の家族自体ではなく、単に親族且つ使用人に過ぎないのであるから、同人の本件家屋に対する必要は被控訴人にとっては間接の必要に止まるものであり、従って、これを解約申入の正当事由となすがためには、同人の本件家屋に対する必要が被控訴人自身の自己使用等の必要にも比肩すべき程度の高度の必要性且つ合理性を具備しなければならないものであるところ、被控訴人としては岸田を近隣に住まわせれば営業上その他に相当の便宜を受けることができ、岸田としても通勤の不便を免れるのであるが、右の便宜以外に昭和二五年当時被控訴人にとって岸田を是非本件家屋に居住せしめねばならない切実な必要があったことを認めるに足る証拠はなく、岸田自身も当時八幡町に居宅を賃借中で住居は一応安定しており、ただ通勤には約一時間半を要するが、終戦後間もない深刻な住宅難の当時においては特に異例な遠距離通勤であったとは言えないこと、岸田の家族は夫婦二人きりであり昭和二五年度中に控訴人から住居として大阪市内に二戸の提供を受けたことがあること、本件家屋附近の電車通りには住宅専用の家屋は殆どなく、しかも昭和二五年八月当時における本件家屋の相当賃料が少くとも一ヶ月金三五、〇〇〇円であったのに対し、岸田の当時の給料は一ヶ月金二万円であったこと、以上の事実を考えあわすと、岸田の本件家屋に対する必要はそれ自体解約申入の正当事由となるべき高度の必要性且つ合理性を具備するに足りなかったものと言わねばならない。のみならず、控訴人が被控訴人に対し、本件家屋を昭和三三年一一月三〇日に任意明渡し返還したことは当事者間に争のないところ、≪証拠省略≫に徴すると、被控訴人は、右本件家屋の明渡後も、一時これを自己の経営する岸田呉服店の仮営業所として使用し、その後は(少くとも昭和三九年一〇月一九日の当審検証期日までは)これを閉鎖して何等使用していないことが明白であり、また岸田政次郎は現在に至るまで依然として八幡町から通勤していることは被控訴人の明らかに争わないところであるから、右の事後の事実より遡って推測しても、被控訴人主張の本件家屋を住居として使用するという正当事由はすべて虚構であったか、又は少なくとも採るに足りない程度の微弱なものであったと推認するに充分である(右の事後の事実に基く解約申入以後六ヶ月までの事情の推認は、弁論終結時までの資料を斟酌し得る証拠範囲の問題であって、事実たる正当事由の時限の問題ではない)。更に被控訴人は、本件正当事由の一として、被控訴人店舗、居宅の改築に伴い本件家屋を仮営業所として使用すべき必要があったと主張するが、右事実は本件解約申入当時から約一四年を経た差戻後の当審に至って初めて主張がなされたものであり、原審における被控訴人本人訊問(昭和二五年一月一日施行)においても、被控訴人は右の如き必要性の存在については何等言及していないのであるから被控訴人が本件解約申入当時既に本件家屋を仮営業所として使用すべき必要に迫られていたものとは到底認め難い。

他方控訴人は、本件解約申入当時前記のとおり本件家屋を戎橋劇場の休憩所兼喫煙所、控訴人の事務室、一六ミリ映画の映写室、試写室等に利用していたものであり、これらはいずれも控訴人会社の営業上の必要に基き設置、使用していたことが明らかである。

被控訴人は、右喫煙所は戎橋劇場と本件家屋との間の空地に設けることが可能であるし、また同劇場内に観客席を狭めて設けることも可能であり、更に同劇場外である本件家屋に設置することは条例に違反する旨主張するが、原審における検証の結果によれば、本件家屋の東側と戎橋劇場の西側との間には、同劇場に沿い細長い空地があるが、右空地は同劇場の西側に設けられた非常口から北側表道路に通ずる通路となっていることが認められ、右空地に屋根を設けて喫煙所の設備をすれば災害に際し観客の避難や消火活動に支障を来す虞があって危険であることは見易いところであり、また喫煙所を改めて劇場内に設けることは相当の費用を要するし、観客席を狭めることにより劇場収入の減少を来すべきことは容易に推測しうるし、更に昭和二三年八月四日付大阪市公衆集合場防火条例第一一条によると、興行場には観覧席床面積の二〇分の一以上の面積の喫煙所を設けるべきことが規定されているが、原審における検証の結果によれば、本件家屋は劇場とは別棟ではあるがこれに隣接し、容易に往来しうる場所にあったことが明らかであるから、本件家屋内に右劇場の喫煙所を設けたことを以て右条例に違反するものとは言うことができない。また被控訴人は、右劇場がその後に至って既に取払われた以上、本件家屋を喫煙所として使用する必要性は消滅した旨主張するが、右劇場が取払われたのは本件解約申入の日から六ヶ月を経過したのちのことであるから、右劇場取払の事実を以て本件解約申入の当否を判断する資料とはなすことができない。更に被控訴人は、控訴人は大資本を以て盛大に事業を経営しているから事務室等の施設は必ずしも本件家屋内に設けなくとも他に設けることができる旨主張するが、控訴人が大資本を有する会社であることから直ちにこれらの施設をたやすく他に移しうるものとは言うことができず、本件解約申入当時控訴人がその必要がないのにこれらの施設をことさら本件家屋に存置していたものと認むべき証拠もない。

元来賃借人は、賃借の必要があればこそ対価(賃料)を支払って目的物を使用しているのであるから、賃借人が賃借を継続していると言うことは、これを若し必要性の問題に還元するとすれば、この事実のみで一応使用の必要性(いわば抽象的必要性)の存在を認めるか、又は少くとも必要性の存在を推定する根拠たるものというべきである。そして賃貸人のなす解約申入につき正当事由の有無を判定するについては、賃貸人、賃借人の双方の事情の比較検討を要する場合が多いとしても、元来賃貸人は賃貸に際しては一旦その目的物についての他人使用を予定し自己使用を放棄したものであり、しかも賃借人の使用については右の必要性が推定せられる以上は、賃貸人の解約申入は従来の利害均衡した現状に変動を与え、賃借人の意に反した目的物の回収を意図し結果するものであるから、少くとも先ず賃貸人側において右の現状打破の起動原因と為すに価する程度の必要性を具備することを要するものと考えるべきであって、賃借人側における使用の必要性は主として右の賃貸人側の必要性の相対的批判の対照物として考察し、後者を正当に評価し、時にはこれがために前者の加重の要否を検討するいわば補充的要素として用いらるべきものであって、単純に双方の必要性の存在を要求し、平板にこれを並置して比較対照すべきものとは考えられないから、正当事由の有無については、何よりも先ず賃貸人側における必要性が肯定せられることが前提であり、賃借人側の必要性の消滅や減退のみを云為して解約を肯認することは許されない。

そうすると本件においては、前叙のとおり被控訴人側の本件家屋に対する必要性は、それ自体賃借人側の目的物使用の現状を打破するに足る程度の自己使用の必要性とは認められず、賃貸人側の必要性は肯定できないのみならず、反面に控訴人側において本件家屋につき前記のとおりの具体的必要性が存していたのであるから、本件解約申入当時及びその後六ヶ月間においては、本件解約申入につき借家法第一条の二所定の正当の事由がなかったものと言わねばならない。

そうすると、被控訴人のなした本件解約申入はその効力を生ずるに由なく、従って本件家屋に対する賃貸借は、控訴人が被控訴人に対し右家屋を任意に返還した昭和三三年一一月三〇日(右返還の事実は当事者間に争がない)まで有効に存続していたものと言うべきである。

五、そこで被控訴人の金員の支払を求める請求について判断すると、前記のとおり本件賃貸借契約は昭和三三年一一月三〇日まで存続したのであるから、控訴人は被控訴人に対し同日までの賃料を支払うべき義務がある。そして本件家屋の賃料が、昭和二二年一月一日から同年八月末日まで一ヶ月金二六〇円、同年九月一日から昭和二三年一〇月一〇日まで一ヶ月金六五〇円、同月一一日から昭和二四年五月末日まで一ヶ月金一、六二五円、同年六月一日から昭和二五年七月末日まで一ヶ月金二、六〇〇円であったことは、当事者間に争がない。被控訴人は、右賃料は、昭和二五年八月一日から一ヶ月金三五、〇〇〇円、昭和二六年一〇月一日から一ヶ月金四〇、〇〇〇円、昭和二七年一〇月一日から一ヶ月金五二、〇〇〇円である旨主張するが、昭和二五年八月一日以降被控訴人主張の如き賃料額まで賃料増額の意思表示又は合意がなされたことを認めるに足る証拠がない。尤も被控訴人が、昭和二八年一〇月一日の原審口頭弁論期日において、昭和二五年八月以降本件家屋明渡済に至るまで右割合による金員の支払を求める旨陳述し、控訴人に対し右各金員の支払を請求していることは記録上明らかであるが、被控訴人は本件訴訟において、本件賃貸借契約は昭和二四年八月一三日から六ヶ月後、仮に然らずとしても昭和二五年六月三日から六ヶ月後に終了した旨主張しているのであるから、前記原審口頭弁論期日における右金員の請求は、少くとも昭和二五年一二月四日以降の分については賃料相当損害金の支払を求めたものであることが明らかであり、昭和二五年八月以降同年一二月三日までの分については、賃料として支払を求めたものであり、賃料増額の意思表示を含むとしても、右割合による金額の支払請求がなされたのは昭和二八年一〇月一日であるから右部分について過去に遡及して賃料増額の効果を生ぜしめるものではない。また被控訴人は、昭和三五年二月二六日の当審(差戻前)口頭弁論期日で、控訴人に対する金員請求は本件賃貸借契約終了までは賃料として、その後は損害金として請求する旨主張したことは記録上明らかであるが、右は金員請求の原因を、予備的に、賃貸借終了と認定されるまでは賃料として請求することを明らかにしたものであり、右主張に昭和二五年八月分以降の賃料につき前記割合による賃料増額の意思表示が含まれているとしても、これにより過去に遡って賃料増額の効果が生じえないこと勿論である。従って、本件家屋の賃料は昭和二五年八月一日以降も増額の効果を生じておらず、従前のとおり一ヶ月金二、六〇〇円の割合であったと言わねばならない。

そこで以上の割合により賃料の計算をすると、昭和二二年一月一日から同年八月末日までは金二、〇八〇円、同年九月一日から昭和二三年九月末日までは金八、四五〇円、同年一〇月分は金一、三〇九円、同年一一月一日から昭和二四年五月末日までは金一一、三七五円、同年六月一日から昭和二五年五月末日までは金三一、二〇〇円、以上の合計額は金五四、四一四円であるところ、控訴人が右期間内の賃料の支払として、昭和二五年五月一五日金四七、八四〇円を、同年六月二七日金六、五六六円を夫夫弁済供託したこと、控訴人が右供託に先だち被控訴人に弁済の提供をしたがその受領を拒絶されたことは当事者間に争がないから、右供託は前記期間内の賃料の弁済として金八円の不足分を除き有効であり、右期間内の賃料債務は金八円を残して消滅したものである。そして、昭和二五年六月一日から昭和三三年一一月末日までの一ヶ月金二、六〇〇円の割合による賃料の合計額は金二六五、二〇〇円となるから、控訴人は被控訴人に対し右二六五、二〇〇円と、前記不足額金八円との合計金二六五、二〇八円の賃料支払義務を有するものと言わねばならない。

そうすると、被控訴人の金員の支払を求める請求は、右賃料金二六五、二〇八円の支払を求める限度で正当として認容さるべきであるが、その余の請求は失当であるから棄却すべきである。

六、してみると、被控訴人の本訴請求中、既に取下げられた本件家屋明渡請求部分及び昭和三三年一二月一日以降の損害金請求部分を除き、金員支払請求部分につき以上と異る金額の支払を命じた原判決の一部は失当であるから、原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第九二条を、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用の上、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡垣久晃 裁判官 宮川種一郎 奥村正策)

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